2018/04/17

不自由な枠組みから抜け出すためにできること、両側から壁が迫ってくる状況で自由に生きるポイント

 

この記事を書いている人 - WRITER -
1981年生まれ、元看護師、青年海外協力隊として発展途上国での活動で常識が大きく変化し医療の限界も痛感。人が健康に生きるには自然な食べ物や環境が大切だと氣づく。帰国後、潜在意識や量子力学について学びコーチング・コンサルティングを行う。好きな食べ物はから揚げ。
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日本社会は窮屈(きゅうくつ)だ、
ということがよく言われます。

特に、社会人になるかならないか
という状況の大学生などは
そう感じているかもしれません。

いつでもどこでも食事ができて、
住むところも完備されている日本、

職業だって自由に選択できるし、
恋愛や結婚もたいがいの人は
自由に選ぶことができる日本、

それなのに、

一体どこに窮屈さを
感じるのでしょうか。

わたしは青年海外協力隊に
参加したこともあり、

窮屈な日本社会から抜け出して
海外で暮らそうとしている人、

すでに海外で生活している人とも
じっくり話をする機会がありました。

一般的に発展途上国と
呼ばれているアジアやアフリカ、
中南米の国々というのは、

時間が穏やかに流れ、
(悪く言えば時間にルーズ)

社会的にある種の大らかさと
呼べるようなものを備えています。

そのような社会で生活してみると、
表面的な部分だけからは観えて
こないものが観えてきます。

それは、日本がムラ社会
ということでもあります。

昔の小規模のコミュニティ、
集落、つまり村(ムラ)ですが、

ムラを支配しているのは
法律ではなく掟でした。

法律というのは、

明文化されたものであり、
確実性が求められます。

発布され、施行された
瞬間から一律に機能します。

そして、

変化がダイナミックです。

それに比べて、

掟(オキテ)というのは、
口伝や伝承で伝えられ、

古くからの時間の流れの
中で役割を与えられ、
機能していくものです。

例えば、

ある時期になると女性は
山に入ってはいけない、

というような言い伝えも
ありますよね。

法律が対象者も明確で破った
後の罰則なども決まっており、
予断を排しているのに対して、

掟は子どもが対象になったり、
女性が対象になったりしますし、

罰則もその時の長の
決断によったりします。

その場所や時々で変わる
ものということです。

つまり、

オキテは曖昧(あいまい)なのです。

この曖昧さを受け入れる器量、
土壌があるのが日本の奥深い
素晴らしさなのですが、

曖昧なままで十分に機能して、
不必要な残滓を出さないように

なるにはある程度の条件が
必要になるのだと思います。

その条件として最も重要な部分は、

そのコミュニティのメンバー内
相互の信頼関係ができていること。

コミュニティ全体として安心
できる状態にあるということです。

わたし達は農耕を始めて、
住むところを決めて定住し、

幾重もの時間を重ねて、
その信頼関係を築き、

コミュニティが
出来上がってきました。

その中でオキテは、
機能してきたのです。

しかしながら、現代の
日本社会は交通の便が良く

住む場所や働く場所など
かなり流動性の高い社会に
なっています。

信頼関係ができる間もなく、
すぐに一緒に働くことを
求められる環境です。

もちろん、明治以降の
西洋社会への転換ということで

法律がさらに重要視される
ようになったこともあるでしょう。

(警察など統治機構の
影響力も含めて)

それでも、長い年月をみれば、
ムラ社会の名残が強いものです。

何が言いたいかというと、

今の日本社会は法律と掟、
その両方に注意を払わなければ
ならない社会ということです。

少し、具体的な例をだすと、

職場で残業している時、

上司よりも早く帰るのは
なんだか雰囲氣が悪くなる。

など、

これは掟によるものです

しかし、会社の法律としては、
残業をしてはいけません。

早く帰りなさい、と伝えられる。

こちらは法です。

時には、うまくマッチする場合も
あるけれど相反する場合もある。

その中で選択を迫られると、
居心地の悪さを感じ得ません。

日本社会に窮屈さを
感じるのは、

日本社会では、法律と掟、
その両方を尊重しなければ
ならない状況
である、

ということ。

これがベースにあります。

しかしながら、

根本的な問題は
そこではありません。

窮屈さを感じる原因は、

掟と法に挟まれて
あえなく行った選択、

その選択をした自分を
許すことができない
ところにあります。

これには、

義務教育で植えつけられる
固定概念が非常に強く
働いている
と思います。

全体を司る法律に
行動を促されながら、

職場の掟、家の掟、
そのコミュニティの掟にも
左右されてしまう状態。

その時その時の最適解は違えども、
植え付けられた社会規範は
それを許してくれません。

これはつまり、

知らず知らずのうちに
自分の中で曖昧さを

受け入れられなくなって
いるということです。

頭の中には良い悪いという
判断の線引きが幾重
にもされ、

法と掟という壁が
両側から迫ってきます。

想像してみてください、

窮屈ではないでしょうか。

長くなりましたが、

日本社会の窮屈さから
抜け出る方法
は簡単です。

頭の中で線引きを止めること、

その時々の判断を受け入れて、

その時々で異なる選択を
する自分を許す
ことです。

自分を許すというのは、
自分を大切に感じるという
ことでもかまいません。

法も掟もある程度
決まったものですが、

状況というのは刻々と
変化していきます。

今日は今日とて、
明日は明日、

その都度都度で
選択が変わるのも
悪くありません。

曖昧さを受け入れる度量
もう一度養いましょう。

 

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