どうして人は祈る時に手を
合わせるのでしょうか。
わたしは普段、家から駅に
歩いていったり、他のところに
出るときに昔からなじみの
お地蔵さんに挨拶をしています。
通るときはチーーン♪という
鈴(りん)を鳴らして
お地蔵さんに手を合わせています。
お地蔵さんでも、神社の
境内でも日本を含めたアジアでは
『お祈り」をするときに
合掌することが多いですね。
キリスト教でも祈る時は、
両手を組んで行われる
ことが多いと思います。
個人的な考えですが、
本来、人間というのは
『無一物』であることを
肉体で表現している
のかもしれません。
無一物というのは
財産や価値のあるモノを
何一つ持っていない
ということ、です。
つまり、両の掌には何も
握られていない状態であり、
すべてを手放している
状態と言うこともできます。
元々、わたし達は何も持たずに
この世界に産まれてきます。
両手の掌には、もちろん
何も握られておらず、
赤ん坊は『可能性』という、
すべてを内包したモノを
持って生まれてきます。
無一物であることで、
無尽蔵に創り出せる。
わたし達は手のひらを合わせる
度に、このことを思い出そうと
しているのかもしれません。
『何もない』
という状態こそが、
『全てがある』
という状態と
エネルギー的に見ると
同義になります。
一般的な話ですが、
人間がエネルギーを扱う時、
左手は受信機能が強く、
右手は送信機能が強い。
両方の手を合わせると、
自らのエネルギーの循環を
生み出すことになります。
この3次元世界というのは、
自らの内側の投影となるので、
手を合わせて祈るとき、
自分のエネルギーを最大限に
この世に反映させて
いるのかもしれませんん。
無一物、無尽蔵。
手を合わせるということは、
本当に大切なことのような
氣がします。
手に何も握っていなければ、
両手を合わせることができますが、
何かを握りしめていると両手を
合わせることができません。
何かを握っているのが悪い
訳ではありませんが、
いつでも手放すことができれば、
また新しいものを掴めます。
その時々で必要なモノは
異なることもありますからね。
『祈りとは、心の所作。
心が正しく形を
成せば想いとなり、想いこそが
実を結ぶのだ』
こちらは漫画、
ハンター×ハンターの
ネテロ会長の名言です。
どこまでも自由な存在で
在るために、どんどん
手放していきましょう。
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