あなたは子どもを褒めるタイプですか?褒めないタイプですか?
僕も子どもが2人いますが、日々の子育てでよく悩んでいます。
上の子は今年、小学校入学。下の子は奥さんの午前中だけの保育園に行き始めました。
朝の着替えや用意をするときに中々捗らなくて、「むーー、どうしよう??困ったゾ」となることもあって、よく「早く早く!」と大きな声を出してしまうこともあります。
なので、僕自身、子育てについて悩んでいるところもあるのですが、心理学や潜在意識的な観点から子どもの教育について大事なことを記事にまとめました。
「子育てに正解はない」、と言われますが、より子どもの可能性を拡げる考え方があるはずです。
現代は技術の進歩の速度が比較級数的に早まっていて、時代がもの凄いスピードで変わっていっています。
親の常識を押し付けることで、子どもたちの可能性を邪魔してしまうこともあるので、子どもの教育に関心のある方に読んでもらえると嬉しいです。
僕も自分でできているとは思っていませんが、自分のことは棚上げさせてもらって(笑)、お伝えしていきますね。
目次
褒めない、叱らない方が自立して育つ?
子どもの教育となると良いことをしたら褒める、悪いことをしたら叱るというのが一般的です。
褒めるときは表彰し、何かの賞を与える。そして、叱るときは何かの罰を与えるので、そのことを褒章教育、賞罰教育とも言われます。
人間誰でも褒められれば嬉しいですし、叱られれば悔しかったり悲しかったりします。
だから、良いことをしたら褒めて、悪いことをしたら叱るというのは子どもの教育にとって良いコトだと思えますよね。
でも、ここで気を付けたいことがあるんです。
それは、この「褒める・叱るという行為」がそれを目当てに行動を決定していく、という価値観を作り、いつまでも他者からどう見られるかを気にして生きる人になってしまう可能性があるからです。
他人からどう見られるか?をずっと意識して生きるのは、自立とは程遠い状態ではないでしょうか?
詳しく見ていきましょう。
幸せになる勇気に学ぶ褒章教育のデメリットとは?
2016年に100万部を超える大ベストセラーになった本に「嫌われる勇気」という本があります。
これは自己啓発の源流とも言われる心理学者のアルフレッド・アドラーが提唱するアドラー心理学の考え方を対話篇で解説している名著です。
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語発音: [alfreːt aːdlɐ](アルフレート・アードラー)、1870年2月7日 – 1937年5月28日)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
初期の頃のフロイトとの関わりについて誤解があるが、アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。
wikipediaより引用
その続編が「幸せになる勇気」ですね。
この幸せになる勇気の中で、褒めること叱ることの危険性について話が出てきます。
叱る目的は「問題行動を正すこと」
まず、叱ることについてですが、叱ることの目的は問題行動を正すこと、治めることだと思います。
例えば、学校の授業中に先生が授業をしているときに友達とまったく関係ない話題で話しているのは、問題行動になりますよね。
その問題行動を止めるために、一般的にはコラ!と声を上げて叱ることになります。
ここまでブチギレしてるとヤバいですが、、、
幸せになる勇気の中では、問題行動を起こすことは、「ただ知らないだけ」のことがあるから、感情をまとって叱るのではなく「ただ教えれば良い」ということが言われます。
これは、確かに一理あります。
例えば、授業の中で話す子どもたちは、自分たちが話していることで、前に立って話をしている人がどれだけ話をしにくくなるか?授業を熱心に聞いている人の集中が途切れるか?というコトを知らないだけかもしれませんよね。
だから、叱ったり、怒ったりするのではなく、ただ教えてあげれば良い、かもしれません。
しかし、場合によれば、それが良くないことだと分かっていてやっている可能性もあります。
そういう場合、わざとやっているわけだから、怒り、叱ることが必要だと思えます。
しかし、幸せになる勇気の中では、叱るのではなく、その問題行動を行う目的に注目しようと書かれています。
アドラーが唱える問題行動の目的5段階説
アドラーは個人が問題行動を行う目的には、5つの段階があると言っています。
その5つの段階とはこちら。
アドラー心理学における問題行動の目的5つの段階
- 賞賛の要求
- 注目喚起
- 権力争い
- 復讐
- 無能の証明
の5段階になります。
賞賛の欲求
まず最初にあるのが、「賞賛の要求」です。
問題行動の入り口はここだ、と本の中で説明されていますね。
これ自体は問題行動を起こすわけではなく、その集団の中でリーダーや代表など、褒める権利を持っている人から賞賛を受けるために行動をしているということです。
例えば、学校で言えば、親や教師から褒められるために宿題をやり、授業を真面目に受けてテストで良い点を取るということです。
これ自体は問題行動ではありませんが、もし、その行動をしたとしても褒められることがなければ、不満が溜まっていきます。
そして、勉強することの意味を見失い、やる気を失ってしまいますよね。
それは、彼らが良いことをしているのではなく人から褒められることをしている、からなんです。
その理由も褒められることで集団の中の特権的に地位を得るためという動機につながります。
それが得られることがなければ、良いこと、周りから望まれることもしなくなるということなんですね。
注目喚起
注目喚起は分かりやすいです。
良いことをしても褒められることがなく、周りから認められなければ、意欲を失います。
また、褒められることが自分にはできないという感覚があれば、最初からその行動をとることを諦めてしまいますよね。
自己効力感(セルフ・エフィカシー)が低い状態です。
それで、良いことでなくどんなことでも、他人からの注目を得る目的で問題行動を起こすことが考えられるんですね。
注目喚起の問題行動の2つのパターン
注目喚起を行う2つのパターンも、幸せになる勇気の中で示されています。
- いたずら・・・積極的な子どもは、ルールを破ったり、大人をからかったりして目立とうとする
- できない子・・・消極的な子どもは、物忘れをしたり、失敗したりすることで目立とうとする。
存在を認めてくれないぐらいなら、怒られてでも注目を浴びていたい、という心理的な欲求が行動の裏にあると考えれます。
権力争い
問題行動の第3段階は権力争いです。
その集団のリーダーに異を唱えて、対抗することで周囲の人たちからの注目を集めて、自らの力を証明しようとする行為です。
復讐
問題行動の第4段階は復讐です。
ここまで来ると、問題行動もエスカレートしてしまっているでしょう。
「権力争い」は対抗することで周りから注目を浴び、自分の存在感を見せようとするので、まだ社会性があります。
しかし、復讐の段階になると、ただ相手が嫌がることを行うので、問題行動が激しくなってしまうんですね。
そこには、社会性もなくなってしまうので、犯罪につながることもあるでしょう。
愛されないなら、復讐して嫌われることで相手から強烈な関心を奪おうとする行動ですね。ストーカーと言うのは最たる例ですね。
怖い話です。
無能の証明
そして、最後の5段階が「無能の証明」です。
何をしても、自分が認めてもらえないなら、最終的に自分は何の役にも立たないので、もう構わないでくれという意思表示になります。
これ以上、自信をなくしたく絶望したくないので、失敗する前から自分にはできないと諦めてしまう状態です。
与えられた課題には取り組めないし、人に関わられること自体が苦しくなってきます。
その人を失望させるのが怖いし、そんな自分が嫌で嫌で仕方ない状態。
長く引きこもっていて部屋から一歩も出ない状態、何もしたくない心境はこのような感じかもしれません。
叱る行為は崩れた賞賛欲求を満たす行為になるため、その問題行動を暗に肯定してしまう
叱るということは、問題行動を治めるために行われますが、それが、逆に相手の賞賛欲求が崩れた目的を満たしていることにつながると、アドラー心理学では言われているんですね。
そのため、叱る・怒ることをしていると、相手は自分自身の欲求を満たしているために、その行動を無意識に肯定して続けてしまうことにつながってしまうんです。
少し長くなってきましたが、次は、褒めることのリスク(危険性)についてみていきましょう。
褒めて伸ばすを否定せよ、褒めることの目的は操作(コントロール)だ
「幸せになる勇気」の中でも、褒めることを批判しているところがあります。
そこには、以下のような強烈な言葉が載ってます。
ほめて伸ばすを否定せよ。
教育の中で、褒めて伸ばすことは一般的に奨励されていますよね。だから、意外なことだと思うんですけど、その心はどこにあるのでしょうか?
見ていきたいと思います。
褒められることで起こる競争原理
ある集団の中で、強烈な統率力を発揮できるのは、賞罰があることです。
会社や軍隊なんかは特にそうですよね。
誤ったことをすれば役職が下がり、成果を上げれば役職が上がります。
これによって行動するのは、褒められることや叱られないことを目的として行動をおこなってしまっているってことになります。
それによって、褒章を目指して競争を起こす集団が出来上がってしまうと言われています。
つまり、褒めることを繰り返していると、その子どもにとって、自分の周りにいる人たちは同じ褒章を目指す競争相手になってしまい、無意識に「争う敵」として認識され始めてしまうということなんです。
褒めることが問題行動を起こさせるきっかけになる?
以上のことから、褒めることを繰り返していると、褒められるために行動を決めていくようになると考えられます。
良いことをするのではなく、褒められることが目的なので、褒められることがなかったり、褒められるための成果が上がらなくなれば、先にお伝えしたような問題行動を起こしていくことにいなります。
だから、意外な話ではあるんですが、褒めると叱るは表裏一体で、褒めることで叱る必要性を生み出していることになりますよね。
褒めない叱らない、子どもと横の関係を築く方法
褒めること叱ること、その両方が、能力が優れた自分から劣っている人へ向けた視点から起きる行動になるようです。
それは、上司と部下、リーダーとフォロワーという縦の関係性になってしまい、他人からの評価ばかりを気にする人になってしまいます。
そうではなくて、自分で自分自身に価値を見出し、自立した人に為るにはどうしたら良いのでしょうか?
互いを尊敬しあう交友関係を結ぶ
褒める叱るという行為が縦の関係性であり、それが能力や地位などの優劣を基準にしたモノだと考えられます。
そうではなくて、上下ではなく横の関係性を結ぶには、能力や地位を基準にするのではなく、その人自身を価値に置くことが大切です。
価値を置くこと、つまり尊敬することです。
僕ら大人は子どもよりも先に生まれてきて、今の社会を身をもって知っているため、彼らを能力がない個人としてみてしまいがちです。
でも、その視点がときとして、上下関係を作り褒めること叱ることによって、問題行動のきっかけをつくる。
そして、その周りの人を競争する敵として認識してしまう始まりになってる可能性があるんですね。
能力を基準にするのではなく、存在を大切にする
能力を基準にして関係を結べば、体が大きく今の社会での経験を積んでいる大人は必然的に子どもよりも高いのが当たり前です。
だからこそ、僕らは「能力」ではなく、「存在」そのものに価値を感じて尊敬しあう関係を築いていく必要があるんですね。。
一個人として対等の交友関係を築く
親が子どもと、存在そのものを認め合う関係を作るためにはどうしたら良いんでしょうか?
対等な尊敬しあう関係性はどういう行動に現れるのか?
具体的にみていきましょう。
褒めるのではなく感謝を伝える
例えば、子どもがお手伝いをしたときに、「えらいね~」と褒めるのではなく、「ありがとう」と感謝を伝えることです。
子どもがお手伝いをすれば、褒めるのは普通ですが、旦那さんや奥さんが手伝ってくれた時は、褒めないですよね?
皿洗いをしてくれた旦那さんを「エライね~」と褒めたら、その旦那さんは冗談か、バカにされているのかと感じることでしょう(笑)。
つまり、相手が良いこと素晴らしいことをしたとき、能力を重視するのではなくその行動を尊重し、存在そのものに敬意を払っている場合は「感謝」が起こるんですね。
叱ったり怒ったりするのではなく質問する
逆に、悪いこと、認められないことをした場合はどうでしょうか?
旦那さんがあなたが大事にしていたお皿を意図的に割ってしまったとする、そんなときなんて言いますか?
もしかしたら、怒髪天を振り回しながら般若の形相で責め立てるかもしれませんが(笑)、落ち着いているとしたらどうですか?
「なんでそんなことしたの?」と尋ねませんかね?
つまり、質問をすることになります。
質問することは、何をどこまで理解しているのかを確認することで、相手の考えを聞くことです。
それによって、相手がどうしてその行動をとったのかを知り、こちらの想いと考えを伝えてお互いのギャップを埋めるきっかけが生まれますよね。
子どもに自立を促すためにもまず自分が始めよう
ここまで書いてきましたが、頭で分かっていてもなかなかできないこともありますし、子どもと親の関係は発育発達、年齢、属する集団によってどんどん変化します。
だから、僕自身まだまだ悩みの中にいます。
なので、思い切って主張することもできないのですが、一般的に褒めたり叱ったりすることよりも、感謝を伝えたり、質問してコミュニケーションのきっかけを作る方が友好的な関係が築けそうですよね。
子どもは親の鏡と言われますし、潜在意識の働き、神経生理学のミラーニューロンの働きから見ても、一番接触回数が多く、共にする時間が長い大人の姿を子どもがコピーしていくことは自然です。
だからこそ、子どもを育てる親自身が他者の視線を気にして、他人からの評価を意識して生きていくのではなく、自分自身に自らの意思で価値を見出し、幸福に生きていくことが大切ですよね。
僕も子どもを持つ親として意識していきたいと思います。
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長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございます。
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